NAIST 奈良先端科学技術大学院大学 バイオサイエンス領域

研究成果の紹介

難解な画像の意味も読み取る「錯視」をマウスは見ていた~世界初 脳の情報処理システムの解明に道~

バイオサイエンス研究科 神経機能科学研究室の駒井章治准教授らは、さまざまな科学の研究で重要な実験のモデル動物になっているマウスが、見た画像を脳内で再構成して判断する「錯視」という知覚の能力を持つ可能性を世界で初めて明らかにしました。
この研究結果は、英国時間の平成27 年11 月2 日(月)付で英国の専門誌”Perception”に掲載されました。 

駒井章治准教授のコメント 

 脳の不思議を明らかにする研究はこれまで数えきれず行われてきましたが、その本質に迫るような研究は未だに多くはなされてきていません。それは恐らく非常に複雑かつ大規模であるからと考えられます。脳の大雑把な領域の機能については「運動野」や「感覚野」、「視覚野」といったものとして知られていますし、一方では神経細胞には興奮性と抑制性があり、これらがネットワークを作って情報を処理しているということも明らかになっています。しかし未だに脳の中の「単語」や「文章」は未知であると言っても過言ではありません。脳機能の最小単位とも言えるこの「単語」や「文章」はどのように表現されているのでしょうか。
 この問題に挑戦するために私たちは脳の非常に微細な「クセ」のメカニズムを細胞レベルで明らかにしようと考えました。これまでの近代科学の歴史の中でマウスを用いた行動科学や分子生物学的ツールの利用に関するノウハウが培われてきました。これらの豊富なバイオリソースが利用できるマウスを用いて脳の「クセ」を理解するための研究の第一歩が今回の研究です。研究ではその目的に合った対象を選ぶことは非常に重要で、このはじめの一歩が成否を決めるともいえます。必要な装置の構築(機械工作やコーディング)からマウスの訓練に至るまで膨大な作業とそれに伴う努力を大学院生(現RIKEN)の奥山さんは根気強く乗り越えてきてくれました。これが成果としてここに発表されたことはとても喜ばしく、研究のみならず教育的な側面からも非常に有意義なものとなったと考えます。 

【概要】
 マウスは夜行性なので視力が弱いとされていましたが、「錯視」という脳内の情報処理システムを発達させてカバーしていたことになります。マウスは迷路を走らせるなど行動学の研究にもよく使われていますが、視覚など脳研究の新たな分野で貢献をすることが期待されます。
 今回の研究ではスマートフォンのような「タッチパネル」2枚に、錯視できれば内容がわかるそれぞれ別の図形を表示しました。マウス(10匹)が2枚のうちどちらか正解を選んで鼻先でタッチすれば、報酬のエサが出るという実験を行ったところ、正答率は73%でした。実際にマウスが「脳が創りだした」主観的な図形に対して反応をすることが明らかとなりました。今後、さらに詳細な脳の情報処理や脳の「クセ」に関する研究の一助になると考えられます。 

【解説、実験方法 】
 脳の情報処理の具体的なところは、まだほとんどわかっていないと言っても過言ではないでしょう。そこで、今回は脳の「クセ」である錯覚現象、特に私たちにも馴染みの深い「錯視」について、非常に豊かなバイオの知見を提供してきたモデル動物である「マウス」を用いて研究することで、少しでもこの問に近づきたいと考えました。 錯視の機能については、チンパンジー、イヌなどにもあることが知られていますが、マウスは視覚が比較的弱いため、錯視のような視覚実験には適さないと考えられてきました。
 実験では、図1のような小型のタッチスクリーン2枚を使い、見えたものに即座に反応し、鼻先でタッチすることを、あらかじめ学習させました。そのうえで視覚図形(図2)の「縦」か「横」のバーチャルな図(主観的輪郭図形)に反応し、正解を選べば、エサがもらえるというように訓練しました。
 10匹に実験を行ったところ、正解率は73%の高率。縦、横の位置を少し斜めにしたり、画像全体をぼかしたりすると、正解率は5割程度に下がり、正確に判断していることがわかりました。このように視覚刺激を様々な形で工夫することにより、実際にマウスが錯視を知覚していることが明らかとなりました。
 今回の発見により、マウスを用いてこのような認知課題に取り組める可能性が開かれ、イメージングや光遺伝学といった脳のどこがどのように反応しているかを見る新しい研究技術を利用することが比較的容易になります。そして詳細かつ具体的な脳の情報処理を明らかにする研究の一助になることが考えられます。 

図1 実験に用いた装置
A:実際の装置 B:概略図 マウスはタッチスクリーンを見て判断、正解を押すと後部の給餌口からエサが出てくる。 

図2 錯視を誘導する視覚刺激
「主観的輪郭」により左は縦バー、右は横バーがみてとれる。周りの図は図中全体の明暗のばらつきを可能な限り均等にするために付したものである。 

【研究の位置づけ】
   今回の研究はマウスが錯視図形を知覚していることを示した世界初の結果であり、今後の高次脳機能解明の一助となるものと考えられる。 

【今後の研究方針】
    今回の行動実験ではマウスが錯視を知覚している可能性が示唆された。今後は二光子レーザー走査顕微鏡などを利用して、単一細胞レベルで錯視が脳の「クセ」が脳の情報として表現されているのかを検討したいと考えております。さらに「多義図形」などの別の錯視図形についても同様の課題で弁別させることを検討しております。多義図形とは一つの図形を見方を変えることでおばあさんに見えたり若い女性の後ろ姿に見えたりする図形のことです。細胞活動を操作することで強制的にどちらかの方法に人為的に知覚を誘導することが可能になるか否かを研究したいと考えております。 

【用語説明】
   錯視とは脳の情報処理の特性、「クセ」によって実際の物理量とは異なる知覚が誘導されることを指します。ミュラーリヤーの錯視やエビングハウスの錯視、多義図形、動く錯視など様々なものがありますが、三次元空間の情報を二次元の網膜平面で受け取った情報をもとに近くするために脳が独自に加える付加情報とも言えます。奥行き知覚や、連続性、図と地の関係など様々な近くの特性が反映されたものと考えられています。サルやヒトでの研究では初期視覚野での図形分析とともにV4という領域での大域的図形知覚が錯視の知覚に関連するといわれていますが、細胞レベルでの脳情報処理は明らかになっていません。

(2015年11月24日掲載)

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