概要
「対称性」は、ギリシャ時代以前の古くから美しさや完全性の基準のひとつとして考えられてきました。対称性は数学的に、Hermann Weyl1によって厳密な定義がなされており、物理学や化学の分野において、日本人の優れたノーベル賞の研究が示すように、対称性(Symmetry)や対称性の破れ(Symmetry-Breaking)は重要な研究課題です。
対称性や対称性の破れは、生物学においても生物の形づくりのしくみを深く理解する上で重要な考えかたです。組織や細胞は、成長に従って、単純な形を次々に複雑なものへと変化させて固有の形態を形づくりますが、生体の対称性の破れはこのような形づくりの基本ステップと考えられます。動物の前後・左右・背腹の形成、植物における枝分かれの形成、細胞の極性形成はそのよい例です。
例えば、出芽酵母は、図(上)のように細胞分裂の過程で対称性が破れて非対称な形が生じます。非対称な形から対称な形への変化は簡単そうですが、反対に、対称性を破るのは難しそうです。このように、生物は成長の過程で自らの形の対称性を破る不思議な能力を持っており、これが複雑で美しい生物の形が生まれる原動力となっています。広い意味での生物の対称性の破れに関して、これまでにいくつかの理論的なモデルが提唱されてきました2, 3。しかし、分子レベルで厳密に理解された例はありません。謎です。
神経細胞も、最初は対称な形をしていますが、成長の過程で、図(下)のように対称性を破って1本の軸索と複数の樹状突起を伸ばします。この非対称な形は、極性といって神経細胞の情報伝達の方向を決める重要なものです。私たちのグループは、この仕組みを分子レベルで解明することで、生物の形づくりの謎である対称性の破れとそれに伴った形づくりの原理を深く理解したいと考えています。また最近、定量的システムバイオロジーの手法を用いて、ラット培養海馬神経細胞が対称性を破るために十分な最小限の分子メカニズムの同定に成功しました(Toriyama et al, 2010; Inagaki et al., 2011)。
現在さらに以下に焦点を絞って研究中です。
- フィードバックループ/Feedback Loop
- 生物は自分の大きさや形をいかにして知るのか?/Cell Gauging
- 対称性の破れのための細胞内輸送システム/Intracellular Transport System for Symmetry-Breaking
- 神はサイコロを振る/Stochasticity
- 側方抑制/Lateral Inhibition
関連業績
- Inagaki, N., Katsuno, H. (2017)
Actin Waves: Origin of Cell Polarization and Migration?, Trends in Cell Biology 27, 515-526 (LINK)
- Nakazawa, H., Sada, T., Toriyama, M., Tago, K., Sugiura, T., Fukuda, M. and Inagaki, N. (2012)
Rab33a mediates anterograde vesicular transport for membrane exocytosis and axon outgrowth. J. Neurosci. 32, 12712-12725.(LINK) (解説) (Nature Japan)
- Inagaki, N.,Toriyama, M. and Sakumura, Y.(2011)
Systems biology of symmetry-breaking during neuronal polarity formation, Dev. Neurobiol.71,584-593.(LINK) (Get PDF)
- Toriyama, M., Sakumura, Y., Shimada, T., Ishii, S. and Inagaki, N.(2010)
A diffusion-based neurite length sensing mechanism involved in neuronal symmetry-breaking, Mol.Syst.Biol. 6, 394.(LINK) (解説)
- Mori, T., Wada, T., Suzuki, T., Kubota, Y., Inagaki, N. (2007)
Singar1, a novel RUN domain-containing protein, suppresses formation of surplus axons for neuronal polarity, J. Biol. Chem. 282, 19884-19893.(LINK) (解説)
- Toriyama, M., Shimada, T., Kim, K-B., Mitsuba, M., Nomura, E., Katsuta, K., Sakumura, Y., Roepstorff, P., and Inagaki, N. (2006)
Shootin1: a protein involved in the organization of an asymmetric signal for neuronal polarization.J. Cell Biol. 175, 147-157.(LINK) (解説)
- 稲垣直之(2019)
Shootin1による細胞-基質間の力の発生を介した神経細胞の細胞移動,極性形成,軸索ガイダンスおよびアクチン波,生化学,91, 159-168
- 勝野弘子, *稲垣直之(2016)
神経細胞極性, (脳科学辞典(林康紀 他編)),DOI:10.14931/bsd.7001 - 稲垣直之(2013)
ニュー ロンの極性化を担う細胞内シグナル経路、脳の発生学(宮田卓樹、山本亘彦 編), 化学同人, 72-89
- 鳥山道則,作村諭一,稲垣直之(2011)
神経細胞が突起の長さを検知する仕組みと神経細胞の対称性の破れ,遺伝 65, 80-86
参考文献
- Weyl, H. (1952) Symmetry, Princeton University Press.
- Turing, A.(1952) The chemical basis of morphogenesis. Philos. Trans. R. Soc. London B Biol. Sci. 237, 37-72.
- Meinhardt, H. & Gierer, A.(2000) Pattern formation by local self-activation and lateral inhibition. Bioessays 22, 753-760 .