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2023.11.01

オルガノイドを用いた胃の恒常性維持と疾患発症メカニズムの解析

幹細胞工学研究室・助教・高田 仁実

要旨
胃は食物の消化と殺菌の役割を果たす重要な消化器官です。胃の表面にある胃粘膜は胃腺と呼ばれる分泌線で覆われており、その中には粘液を分泌する細胞や、胃酸を分泌する細胞、消化酵素を分泌する細胞など、様々な機能性上皮細胞が存在します。これらの細胞は、胃腺の峡部に存在する幹細胞から生み出され、常に細胞死と再生を繰り返しています。しかし、ピロリ菌感染や非ステロイド性抗炎症薬の長期服用で炎症が誘導されると、幹細胞分化の過程が障害され、萎縮性胃炎や胃潰瘍を発症することがあります。私たちは、胃腺の幹細胞が分化する仕組みや胃疾患発症メカニズムを解明することで、胃疾患の新たな予防法や治療技術の開発に貢献したいと考えています。

1.はじめに

胃は強酸性環境下で食物の消化と殺菌を行う器官であり、健康な食生活を維持する上で欠かせません。胃の表面にある胃粘膜は胃腺と呼ばれる分泌腺で覆われていて、その中には粘液を分泌する細胞や、胃酸を分泌する細胞、消化酵素を分泌する細胞、食欲を促進するホルモンを分泌する細胞などが存在します。胃粘膜は、胃酸や食物、細菌など様々な外的要因に晒されているため、これらの細胞は常に細胞死と再生を繰り返して新しい細胞に置き換わっています。この活発な新陳代謝を支えるのが、胃腺の峡部に存在する幹細胞です。幹細胞は分裂して自己複製し、新たに形成された細胞が峡部から上部に移行して表層粘液細胞に、また下部に移行して胃酸分泌細胞や頸部粘液細胞に分化し、古い細胞を更新します(図1)。このようなターンオーバー機能は、胃粘膜が健康な状態を維持するために極めて重要ですが、ピロリ菌感染や過度なアルコール摂取によって障害を受けると、胃炎や胃潰瘍を発症することがあります。私たちは、胃の幹細胞が分化する仕組みや、胃疾患発症メカニズムを解明するために、胃のシングルセル解析や、試験管内で胃の機能を解析できる胃オルガノイドを用いた解析を通じて研究を進めています。

fig.1

図1.胃腺の新陳代謝
胃腺の新陳代謝:胃腺の峡部に存在する幹細胞は自己複製し、表層粘液細胞、頸部粘液細胞、胃酸分泌細胞に分化して、古い細胞を置き換える。

2.成体マウス胃組織のシングルセル解析

胃腺には様々な機能を持つ細胞が存在するため、胃の組織をまるごとすりつぶして遺伝子発現を解析する方法では個々の細胞が持つ情報が消失してしまいます。そこで私たちは、シングルセル遺伝子発現解析法(1)を用いて、胃腺を構成する一つ一つの細胞の遺伝子発現データを取得しました。次に、遺伝子発現の類似性をもとに細胞の分化の過程を再構築する擬時間解析(2)(図2)を用いて、幹細胞から機能性上皮細胞への分化の過程で変動する遺伝子を抽出し、それらのエンリッチメント解析から幹細胞の分化を制御する上流シグナルを予測しました。その結果、幹細胞の未分化性の維持にはNF-kBシグナルが、幹細胞から表層粘液細胞の分化にはEGFRシグナルが関与することが示唆されました。また、細胞間相互作用予測を用いて、これらのシグナルがどのように活性化するのか解析した結果、間葉細胞が分泌するTNFSF12が幹細胞のNF-kBシグナルを、表層粘液細胞が分泌するTGFαがEGFRシグナルを活性化することが示唆されました。

fig.2

図2.胃腺細胞の擬時間解析
擬時間解析を用いて遺伝子発現パターンの類似度から細胞を分化の順番に並べることで、幹細胞からそれぞれの機能性上皮細胞への分化の過程が再構築された。図中の数字はシングルセル解析を行った個々のの細胞を表す。図中の実線(t12)は幹細胞から頸部粘液細胞への分化の過程、波線(t13)は幹細胞から表層粘液細胞への分化の過程、点線(t1)は幹細胞から胃酸分泌細胞への分化の過程を表す。

3.成体マウス胃組織から作製した胃上皮オルガノイドを用いた解析

マウスの胃腺を細胞外基質の中に包埋し、特定の成長因子を加えて3次元培養すると、1週間程度で胃上皮オルガノイドと呼ばれる風船状の構造が形成されます(3)(図3)。この風船状の構造は、主に胃の幹細胞で構成されており、体外で幹細胞の分化のしくみを解析するのに非常に便利なツールです。そこで私たちは、胃オルガノイドを用いて、シングルセル解析から予測されたシグナル経路が実際に幹細胞の分化を制御するのか検証しました。その結果、胃オルガノイドの培地にTGFαを添加して培養すると、表層粘液細胞への分化が誘導され(図4)、逆にEGFRの阻害剤を添加すると分化が抑制されることが示されました。また、TNFSF12を添加して培養すると、未分化な幹細胞の割合が増加し、逆にNF-kBの阻害剤を添加すると表層粘液細胞への分化が誘導されました。以上の解析から、シングルセル解析の結果から予想された通り、EGFRシグナルは表層粘液細胞への分化を誘導し、TNFSF12シグナルは幹細胞の未分化性を維持することが証明されました(4)

fig.3

図3.胃上皮オルガノイドの作製
胃腺をマトリゲルと呼ばれる細胞外基質の中で培養すると(Day0)、増殖性の細胞が小さな球状構造を形成し(Day1)、胃上皮オルガノイドを形成した (Day4)。

fig.4

図4.TGFα処理した胃上皮オルガノイドのヘマトキシリン・エオシン染色像
TGFαを添加した培地で胃上皮オルガノイドを培養すると、表層粘液細胞への分化が誘導され、細胞形態の変化が観察された。上段: スケール 200 μm、下段: 上段の写真の拡大像, スケール 20μm。

4.マウスES細胞から作製した胃オルガノイドを用いた解析

胃オルガノイドを作製する方法には、上述した成体胃組織の幹細胞から培養する方法と、ES細胞やiPS細胞などの多能性幹細胞を分化させる方法の2種類があります。私たちの研究室では、マウスES細胞から胃オルガノイドを作製し、胃疾患モデルを構築することにも取り組みました(5)。ES細胞を浮遊状態で培養し細胞塊を形成させると、FOXA2を発現する内胚葉組織とTBXTを発現する中胚葉組織が分化してきます。この細胞塊をシャーレに貼り付けてさらに培養すると、中胚葉組織が内胚葉組織を取り囲むようにしてできた風船状の構造体が形成されます。通常これらの構造体は、CDX2を発現する腸の組織に分化しやすい傾向にありますが、私たちは培地にWNTシグナルの阻害剤とSHHを添加して腸への分化を抑制することで、胃の組織への分化を強制的に誘導することに成功しました。このようにしてできた胃の前駆組織を細胞外基質の中で3次元培養して成熟させることで、表層粘液細胞や胃酸分泌細胞、消化酵素分泌細胞などを含む機能的な胃オルガノイドを作製しました。現在私たちは、このES細胞由来胃オルガノイドを用いて胃がんモデルを作製することに挑戦しており、今後胃がんがどのように発症するのかそのメカニズムの解明に取り組んでいく予定です。

5.おわりに

以上のように私たちの研究室では、胃粘膜の恒常性や疾患発症のメカニズムを明らかにするために、シングルセル解析や胃オルガノイドを中心とした先進的なアプローチで研究を進めています。これらの研究は、胃における基礎生物学的な理解を深めるだけでなく、胃疾患の新たな予防策や治療技術の開発に向けた基盤としての情報を提供するものになります。今後、得られた知見を元に、胃の発生・成熟・再生を制御するメカニズムの解析や、試験管内で胃疾患を再現する実験モデルの開発に取り組み、私たちが生涯にわたって食事を楽しむための健康な胃の維持に寄与する技術開発を目指します。

Takada Hitomi

著者

高田 仁実 Researchmap

略歴

東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻 博士課程を修了後、国立精神・神経医療研究センター 研究員、産業技術総合研究所 研究員を経て、2017年より奈良先端科学技術大学院大学 幹細胞工学研究室 助教。

  • 研究内容:胃の生物学
  • 関心ごと:論文と研究費と猫

幹細胞工学研究室

高田 仁実 NAIST Edge BIO, 0018. (2023)

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