微生物学においては、微生物を単離・同定し、その純粋培養を通してキャラクタリゼーションを行うことが常法です。例えば、清酒醸造において中心的な役割を果たす清酒酵母は、1895年に矢部規矩二博士によって清酒もろみの中から単離・同定され、優れたアルコール発酵能力を有することが報告されました。このような研究手法は、微生物学の基盤としてきわめて重要であることは言うまでもありませんが、微生物を本来の複雑な生育環境から引き離してしまうことにもつながります。発酵食品の製造のように様々な成分・環境要因が存在し、時間をかけてダイナミックな変化をしていく中での微生物の本来の生きざまは、従来の研究手法では見落とされがちでした。
世界中に存在する発酵食品の多様さ・奥の深さには、知れば知るほど驚かされることばかりですが、発酵食品の製造プロセスにおける微生物叢の遷移に着目すると共通性も見出されます。清酒、醤油、味噌、黒酢、漬物、パンなどの伝統的製法では、まず原材料が乳酸菌の力で乳酸発酵され、その後どこからともなく現れた酵母によってアルコール発酵が進行します。このような共通性は、食品の発酵を司る共通原理の存在を示唆しているとも考えられます。私たちの研究室では、清酒の伝統的な醸造法として知られる生酛造りにおける酵母と乳酸菌の相互作用に注目して研究を行ってきました(図1)。その結果、乳酸菌が酵母のアルコール発酵を抑制するという新規な現象を発見しました(図2)。酵母がアルコール発酵によって生み出すエタノールは他の微生物にとって高い毒性を示すので、アルコール発酵の抑制は異なる微生物同士が同じ環境内で共生していくために必須なのかもしれません。これからも、発酵食品の伝統的製法における微生物間の共生/相互作用に着目しその意義を明らかにすることにより、発酵食品の新しい価値を創出していきたいと考えています。
【このテーマに関連する代表的な論文】
- D. Watanabe*, M. Kumano, Y. Sugimoto, H. Takagi; Spontaneous attenuation of alcoholic fermentation via the Cyc8p-Tup1p complex in Saccharomyces cerevisiae. (submitted)
- D. Watanabe and H. Takagi*; Yeast prion-based metabolic reprogramming induced by bacteria in fermented foods; FEMS Yeast Res. 19: foz061 (2019)
- D. Watanabe*, M. Kumano, Y. Sugimoto, M. Ito, M. Ohashi, K. Sunada, T. Takahashi, T. Yamada, and H. Takagi; Metabolic switching of sake yeast by kimoto lactic acid bacteria through the [GAR+] non-genetic element; J. Biosci. Bioeng. 126(5): 624-629 (2018)
【このテーマに関連する代表的な日本語総説】
- 渡辺大輔; 伝統的発酵食品における酵母のふるまいを追究する; 生物工学会誌 (in press)
- 渡辺大輔; 清酒酵母の共生とアルコール発酵; 温故知新 60: 67-72 (2023)
- 渡辺大輔, 高木博史; 微生物間相互作用と代謝,そしてプリオン; 生物工学会誌 96: 463-466 (2018)